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長期入院(母子付き添い入院)の体験談〜我が子に重度障害があると分かった日から〜

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こんにちは、重度障害児の母、たんぽぽ母ちゃんです。
 
今回は、私が当時生後3ヶ月だった息子と長期入院した時の状況や気持ち振り返り、書いていこうと思います。
 
当時は私自身、同じような状況の方の体験談やエピソードに励まされていましたので、私の経験が、同じように誰かの役にたてましたら幸いです。
 
病気発覚までの体験談については、こちらの記事をご覧ください。
 
 
 
〈息子の病名と現在の状況〉
息子は2020年現在、養護学校(小学校)の3年生です。
•結節性硬化症
(…細胞が腫瘍化しやすくなる遺伝子の病気で、治療法の確率していない難病です)
•脳腫瘍
(…左脳に7センチ大の大きな腫瘍があります)
•west症候群
(…難治性てんかん。点頭てんかんとも言い、コントロールが難しく、発作が止まらないと発達が遅滞する)
•右半身麻痺
(…腫瘍の影響で、右半身に麻痺があり、うまく動かせません。誤嚥も少しあり)
•精神発達遅滞
(…発達検査では、生後7ヶ月程度の知能。発語はありません)
•運動発達遅滞
(…4歳でお座りができるようになり、現在はいざり(尻ばい)での移動はできます。)
•経鼻経管
(…誤嚥予防のため、鼻から胃に管を入れています。水分と薬は管からで、食事は口からとります。)
※基本的に全介助です。

◯入院となった経緯

息子は結婚してすぐに授かった、第一子でした。
 
産まれてすぐは病気が分からず、生後2ヶ月の終わり頃、痙攣のようなおかしな動きを繰り返すようになり、初めて病院へ。
 
一度の転院ののち、当時の自宅から車で8時間の病院にて、病名を告知され、てんかんの治療のために一年半の母子付き添い入院となりました。
 
付き添い入院となった理由は、こちらの記事にも書いています。(主に入院中の生活について書いています)
 
 

◯長い入院生活のスタート

転院前の病院には1ヶ月ほど入院していました。
 
前の病院では病名もはっきりせず、とにかく毎日不安の中で過ごしていました。
 
結節性硬化症もwest症候群も、珍しい病気だったため、普通の小児科医では知識不足で診断にいたらなかったのです。
 
息子の左脳にはおそらく生まれつき、大きな腫瘍があったのですが、頭の腫瘍はCTでは血栓と区別がつかず、はじめは脳出血を疑われていました。
 
1ヶ月様子をみて、黒い塊の大きさが変わらないことから、腫瘍の可能性と専門病院での手術の必要性を鑑み、転院を勧められたのです。
 
緊急入院からそのまま、他に選択肢もなく、さらに遠い病院へと転院してきました。
 

◯転院先の病院での診断

転院先では、驚くほどあっさりと、結節性硬化症west症候群の診断が下りました。
 
息子は生まれつき、皮膚に白抜けた部分がいくつかあったのですが、それは葉状白斑と言って、結節性硬化症の典型的な症状なのだそうです。
 
それから、west症候群(点頭てんかん)
 
これも、通常ふつうの人が想像する痙攣とは全然違うのです。
 

•west症候群(点頭てんかん)の発作

点頭てんかんを調べると、「おじぎをするような発作を繰り返すと書いてある場合が多いです。
 
しかし、生後3ヶ月の赤ちゃんの場合は首も座っておらず、お辞儀はできません。
 
どんな動きになるかというと、息子の場合は一瞬雷に打たれたようにビリビリっと両手足を広げ、突っ張るものでした。
 
このビリビリを、10秒おきくらいに何度も何度も繰り返します。
 
また発作が弱いと、ビリビリではなくピク付きだけだったり、片手だけ、あるいは眼震(目のゆれ)だけのこともありました。
 
発作が終われば普通の状態に戻るか、ボーっとしたり眠ってしまうので、知識がなければ気付かない方も多いと思います。

◯診断後の心境

正直なところ、難病というショックよりも、病名がはっきりしたことへの安心感のほうが大きかったです。
 
息子が朝も夜も異常に泣き止まなかった理由も、心が全く通じない感じがして目も合わず、可愛いと思えなかった理由も、やっと病気のため、とはっきりしたのです。
 
最初の病院では脳出血という誤診により、今すぐ死ぬかもしれない、という絶望感を味わっていましたので、それよりはずっとマシに思えました。
 
(最初の病院で、ICUに入り管だらけにされた小さな息子の姿と当時の気持ちは、今でも忘れることが出来ません。)
 

◯病気の治療法は

とはいえ、結節性硬化症は治療法のない難病です。
 
基本的には対処療法をしていくしかありません。
 
脳腫瘍は場所が悪く摘出不可、病気由来のものであれば良性だろうとのことでした。
 
入院中の治療は、薬の調整による、てんかんの投薬治療のみでした。
 
長い入院生活の中で、さまざまな種類のてんかん薬を試しましたが、ほとんど効き目はありませんでした。
 
ACTHという、筋肉注射の治療では、1ヶ月ほど発作が止まったことがありましたが、すぐに発作は戻ってしまいました。
 
west症候群は、発作のコントロールができないと、脳に影響し、発達が遅滞、退行していきます。
 
5ヶ月で首も座り、寝返りが出来たりと、一喜一憂しながら過ごしましたが、病院で1歳の誕生日を迎える頃には、明らかな発達遅滞が見られていました。
 
発作は、悪い時には1時間に一回、それ以上のこともありました。
 
発作で起きては泣き叫び、抱っこも嫌がる息子をバギーに乗せ、深夜の病院を一晩中歩き回った日には、眠くて辛くて、思わず叩いてしまったこともあります。
 
何より、いつまでも目が合わず、笑ってくれない息子を可愛く思えないことが辛かったです。
 

◯長期入院中の私の気持ち

長期入院は、確かに大変ではありましたが、長くいればそれなりに慣れてくるものです。
 
病院にいることで、何かあっても医師や看護師さんが見てくれるという安心感はありました。
 
また、キッズルームの保育士さんや、同じように付き添い入院している他のお母さん方とも、話をしてお互いに励まし合うことが出来ました。
 
入院していることで、分からないことや悩みがあれば、すぐに聞いてもらうことができました。
 
もし自宅で一人でいたなら、もっと孤独で不安だったのではないかと思います。
 
家事もなく、息子のことにだけ集中できました。
 
空き時間には、ブログを始め、同じ病気の子どもを持つ方と交流したり、情報を集めたりして過ごしていました。
 
とにかく、四六時中あたまの中は、どうしたら息子が少しでも良くなるかということを考えていました
 
出来る限りの情報を集め、出来ることは全てやろうと必死でした。
 
当時は、必死で情報を集めることで、崩れそうなメンタルを保っていた部分もあるように思います。

◯行事のたびに、積もる悲しみ

長期入院では、季節の行事や、子どもの成長の節目の行事など、多くの行事と季節が過ぎ去っていきました。
 
お食い初め、七夕、クリスマス、1歳の誕生日…
 
そういった行事が過ぎるたび、
 
あぁ、本当なら今頃…
 
と、息子が病気でなければあったであろう未来や出来事に想いを馳せ、悲しみは積もっていきました。
 
それでも、受け入れるしかないのです。
 
現実は残酷で、私の「もしかしたら出来るようになるかも…という希望はことごとく打ち破られていきました。
 
時間が過ぎるほどに、息子の発達は大きく遅れ、重度心身障害児となっていったのです。
 

◯退院の時

息子と私が退院出来ない理由は、自宅が遠過ぎ、定期的な通院が難しいためでした。
 
主人も懸命に動いてくれ、幸運にも、職場を異例の時期に異動出来ることになりました。
 
病院の近くにアパートを借り、引っ越してこれることになったのです。
 
病状は全く安定しない息子でしたが、もともと投薬のみの治療のため、通院での治療に切り替えていくことになりました。
 
実に1年半の長期入院生活を終え、見知らぬ土地で知人も親戚もいない中、重度障害児の息子との新しい生活をスタートさせていくことになったのです。

まとめ

入院じたい、私自身が病気しらずだったこともあり、初めての体験でした。
 
入院中の生活は大変でしたが、親身になって下さる方も多く、孤独にならずに済んだ部分もあります。
 
毎日さまざまなことに一喜一憂し、重度障害児という現実を受け入れていくしかないのだ、と少しずつ自覚していきました。
 
とにかく泣いて泣いて手のかかる息子で、息子を泣き止ます方法を探すのに必死でした。
 
一年以上も病室育ちで、外に出て風が吹くだけでも敏感に泣き出す息子。
 
退院後はそんな息子との、大変な生活が始まります。
 
続きはこちらです。↓↓
 
 
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