※以下、クラファンサイトに掲載の内容をこちらにもご紹介します。
【クラファン3週目のご報告と、わたしが絵本をつくる理由】
こんにちは。絵本作家のしょうじあいかです。
クラファンのほうは開始3週目となり、折り返し地点まできました。終了までにより多くの方に見ていただけるよう、がんばっていきたいと思います。
引き続き、終了の3月15日まで応援よろしくお願いいたします😌
-----
さて、本日は少し話を逸れ、わたしがなぜ絵本をつくろうと思ったのかをお話しします。
ご興味のある方は目を通していただければと思います。
-----
「いつか絵本をつくりたい」
それは、昔からのひそかな夢でした。
この夢を人に話したのは、一度だけ。
“いつか”は、もっとずっと先のことだと思い、気づけば心の奥底にしまいこんでいました。
■絵本が大好きだった幼少期
わたしの母は、おもちゃやお菓子などをあまり買い与えてくれない人でした。
そのかわり、絵本や児童書だけは、わたしが欲しがれば絶対に買ってくれました。
そこまで裕福というわけでもなかったわが家。おそらく、バザーで買ったり、人から譲り受けたりしながら集めたのだろうと思います。
うちには、絵本用の本棚に、いつもたくさんの絵本が並んでいました。
毎日寝る前には、必ず母か父が読み聞かせをしてくれました。
絵本を読んでもらうと、頭の中には絵本の世界が広がり、楽しい気持ちで眠りにつくことができました。
小学生になると、父の読み聞かせが落語にかわったり、宮沢賢治の読み聞かせテープにかわったりしながらも、その習慣は続きました。
辞書のような厚さの児童文学集50冊をすべて読み切ったのは、わたしのひそかな自慢でした。
そんな環境でしたから、必然的に絵本が大好きになり、物語を空想することは日常となっていました。
■現実の夢、いつかの夢
絵本をつくりたいと思う人は、きっと世の中にたくさんいるでしょうね。
わたしも、絵本をつくりたいという思いはずっとありましたが、それは仕事にはつながらない夢。
「保育の仕事をしたい」という現実的な夢のかげで、気づけばその存在すら忘れていました。
わたしは夢を叶え、幼稚園教諭になりました。
仕事をするなかで、絵本がまた、身近になりました。
やっぱり、絵本、いいなあ……。
幼稚園教諭として働いていた当時、いつか絵本をつくりたいと一度だけ同僚に話したのが、絵本の夢を口にした最初で最後でした。
■転機は、苦悩のあとに
その後、取れずにいた保育士資格を取りたいという思いもあり、退職を決意し、そのタイミングで結婚。長男妊娠中に保育士資格を取得しました。
退職のタイミングで、実は「絵本の作り方」なる本を買っていたりします。
でも、収入につながらない絵本づくりの夢はまたもや後回しに。
長男の病気も発覚し、しばらく絵本どころではない生活が続きました。
結婚から7年目くらいのころ、息子のことや家庭のことなど、すべてがうまくいかなくなり、気持ちが限界を迎えた時期がありました。
悩んで悩んでそのときのわたしが出した答えが、「自分自身の価値観を変えること」でした。
1人で頑張り我慢しすぎていたことがうまくいかなくなっていた原因だったと気づき、そこからは、頑張らないことを頑張ろう!と決めました。
本当に好きなことだけをやろうと決意したあと、回り回って戻ってきたのが絵本づくりの夢でした。
■まずは息子のための絵本を
絵本づくりをやってみよう、と思い立ったときに、一番に浮かんだのが息子のことでした。
息子には、これまでさんざん絵本を試してきたのですが、なかなか興味をもってくれず、その頃は読み聞かせすら諦めていました。
「息子の好きな要素を入れれば、息子でも絵本を楽しめるんじゃ?」
そう思って、息子のための絵本をつくりました。
それまで、絵本どころか他人からの働きかけにすら反応が乏しかった息子。
不思議なことに、絵本づくりをはじめてから認知能力がめきめきと伸びていきました。
目が合うようになり、絵本に反応して笑います。絵本だけでなく、日常でも一気に人間らしい反応を見せるようになりました。
■夢の先に
いつしか、障害児向けの絵本づくりはわたしの使命と感じるようになりました。
息子だけでなく、もっとたくさんの子どもたちへ絵本を届けたい。
わたしの絵本づくりの夢は、大きく膨らみ、軽やかに飛び跳ね、色を変え、また次の夢へと変化していっています。
“自分が勇気を出して行動すれば、夢は叶う”
この大きな成功体験は、これからのわたしの人生すら変えていくのだろうなと、今、強く感じています。
しょうじあいか